ひとりごと ~Music & Life-Style~

HR/HMを中心としたCD感想、足を運んだライヴの感想をメインにひとりごとをブツブツつぶやくブログです。

6/24 BRAHMAN / さよなら中野サンプラザ音楽祭 -暗影演舞II- at 中野サンプラザ

1973年から50年に渡って、国内外のアーティストがライヴを行ってきた中野サンプラザ。もう皆さんとっくにご存知でしょうが、今年7月に閉業が決定しています。

 

50年の歴史を締めくくる企画として、5月から7月にかけて「さよなら中野サンプラザ音楽祭」と題したライヴを行っています。企画と言っても、連日色々なアーティストが単発でライヴをするというもので、一貫した企画っぽさはあんまりなさそう。トリを飾るのは7月2日の山下達郎さんらしい。

 

sayonaranakanosunplaza.com

 

僕がこの会場に足を運んだのは、この日を含めて4回。ACCEPTの来日公演に、BRAHMANのホールツアーファイナルで2日連続行きました。そして最後になるこの日もBRAHMANです。4分の3が同一アーティストという偏りっぷり。

 

特に強い思い入れがある会場というわけではないため、大学時代から何度も行ってた新木場STUDIO COASTや、我がホームタウン(?)札幌を代表するハコのKLUB COUNTER ACTIONと比べて、特に喪失感のようなものは感じていませんでしたが、無くなる最後にBRAHMANが観られるというなら行かない理由はないわけで。

 

同日開催のTwilight ForceとFelloshipに後ろ髪を引かれる思いを抱えつつ、人生最後の中野サンプラザへ。会場入りする前にはもちろんデイリーチコのソフトクリームを食べたよ。中野に来たらやっぱりこれでしょ。

 

1階席のやや後方の右端という席。そんなに良いポジションではありませんが、まあステージ全体をしっかり見渡せるので問題はない。

 

 

開演時間を5分少々過ぎたあたりで暗転し、入場SEとなる「お母さん、お願い」が流れると、一斉に歓声が生まれて場内総立ち。ステージバックのスクリーンには、VIVA LA ROCKで見たときと同様の映像が流れ、下手側からゆっくりとメンバーが登場する。

 

定位置についたKOHKIさんがクリーンギターのフレーズをゆっくりと奏でる。最初の楽曲は「Kamuy-prima」。全編アイヌ語で歌い民族音楽らしさを浮き彫りにしつつ、BRAHMANの「静」の側面を押し出した曲。

 

バックスクリーンには、AIアートと思われるムービーが流れており、大自然アイヌ文化を彷彿とさせるイラストが次々登場して、楽曲の世界観を演出する......のですが、どうしてもこの手の映像を見るとアイリフドーパのMVを想起してしまいます(笑)

 

その後はドラマチックな激情の展開を見せる名曲「A WHITE DEEP MORNING」で、BRAHMANの「動」の部分が少しずつ顔を出す。とはいえ基本的には淡々とした楽曲んため、だいぶスロースタートな印象のライヴです。前回中野で観たときほどの極上の演出こそなかったけれど、やはりこの曲のラスサビは胸を打つ。

 

そして「A WHITE DEEP MORNING」が終わった瞬間、溜めに溜めたエナジーを爆発させんとばかりに投下した「BASIS」からは、もうとにかく圧巻の一言。言ってしまえばいつものBRAHMANなわけですが、息をつく暇のないタフで荒々しい疾走曲の連発。ステージ上を全身全霊かけて舞うTOSHI-LOWさんとMAKOTOさんに、玄人的でタイトなプレイスタイルを崩さないKOHKIさん、楽曲の突進力を一身に担うRONZIさんと、これぞBRAHMANといった様相がステージ全体から放たれる。

 

パフォーマンスの熱量は相変わらずで、ライヴハウスだろうとフェスだろうと、そして今日のような全席指定のホールだろうと、彼らのライヴのボルテージは不変。コロナ禍でのホールツアーでその事実は認識していたわけですが、やはり改めて観ても圧倒されるしかない。

 

モッシュでもみくちゃになりながら浴びるBRAHMANは最高だけど、こうやってしっかりステージを視認できるライヴでは、いかにこのバンドがライヴバンドとして圧倒的迫力を持ったバンドであるかを思い知らされる。モッシュピットの中じゃしっかりと観られないもんね。

 

とはいえ「DEEP」〜「BOX」〜「BEYOND THE MOUNTAIN」〜「CHERRIES WERE MADE FOR EATING」という無慈悲な殺人セットリストを聴いてしまうと、「ピットは!?どこかにモッシュピットはないのか!?」という気にさせられるんですけどね。もう暴れたくてしょうがなかったですよ。

 

ただパフォーマンスはさすがとしか言えないものでしたが、TOSHI-LOWさんのヴォーカルは必ずしも本調子とは言えない感じだったかな。声自体は出ているものの、全体的イマイチ伸び切らなかった印象。「BEYOND THE MOUNTAIN」の叫びもアッサリ気味だったし。

 

あと「不倶戴天」のギターソロはだいぶ原曲から変えていて、唸るリードフレーズから、歯切れの良いリフ主体のものになっており、これはこれでカッコいいんですけど、どっちかといえば原曲のままの方が好きですね。

 

ひととおり疾走曲の乱打を終えた後、「終夜」「FROM MY WINDOW」「PLACEBO」と、静かに感情を発露させる時間が訪れる。どの曲にも胸を打つ切ないエモーションが満載ながら、やはり「PLACEBO」のメロディーは特に心にくるものがあります。細美さんがいないため、高音のコーラスはドラムのRONZIさんが担当していました。

 

しばしスローな楽曲で会場の熱量を落ち着かせたあとは、KOHKIさんのクリーントーンのギターフレーズが登場して、一気に会場が沸き立つ。この音色は1stアルバムのオープニング「THAT'S ALL」だ。ライヴでは初めて聴く楽曲。

 

小刻みなギターリフと共に疾走するドラムが気持ち良いのですが、さらにその興奮を高めてくれたのが「THERE'S NO SHORTER WAY IN THIS LIFE」〜「ANSWER FOR•••」という、アルバム冒頭の完全再現の流れでしたね。「ANSWER FOR•••」の名曲ぶりももちろん最高ですが、頭の2曲はなかなか聴くことができなかっただけに、ここが一番印象強かったかも。

 

「THERE'S NO SHORTER WAY IN THIS LIFE」のイントロが終わった後のブレイクにて、TOSHI-LOWさんが「聞こえねえぞ」と言わんばかりに、耳に手を当ててオーディエンスの歓声を煽る。あまりこういうアクションをするイメージの人ではなかったのでちょっと意外。

 

クライマックスにおける緊張感を見事に演出した「Slow Dance」は、もうすっかりBRAHMANのライヴのキメ曲の風格が滲み出ていたし、その後の「旅路の果て」ではスクリーンに亡くなってしまった仲間たちの写真が映し出され、ラスト付近になってしまったライヴの寂しさと充実感を助長させていく。坂本龍一さんや常岡章さんといった人たちはもちろん、中にはTOSHI-LOWさんに抱きつかれるアントニオ猪木さんや、RONZIさんと一緒に佐野実さんも映ってました。

 

真善美」にて"一度きりの意味を お前が問う番だ"というフレーズにて、本日唯一のMCの時間。

 

「一度きりだと思っていた、中野サンプラザ。なぜならホールツアーで壁をぶっ壊したからだ」「最後の中野のイベントのオファーが来たと聞いた時は、出演者ではなくて解体業者として呼ばれたんだと思った」と語り会場が爆笑に包まれる。あの壁破壊事件は僕も生で見てましたよ。

 

BRAHMANをホールでなんか観たくねえよとか、映像なんて使わない方がいいんじゃないのとか、色々言われてきた」とこれまでのライヴへの意見がありつつも、それでもBRAHMANというバンドの根っこは全く変わっていない。そのことを「変わらない唯一の方法は、変わり続けること」という、過去に作った名曲の歌詞を引用することであらためて示した瞬間。

 

そのフレーズに呼びだされてきたかのように、「真善美」後に暗転した会場から、「The only way」のイントロが飛び出す。「ありがとう、中野!」と叫んだTOSHI-LOWさんの表情は、本日中最も晴れやかな笑顔でした。パワーと繊細さ、民族音楽から強く影響を受けた、これぞBRAHMAN!な名曲で圧巻の幕切れとなりました。

 

最後はTOSHI-LOWさんが客席まで降りてきて、大勢のファンの反応を間近で受け取りつつ歩き続け、後方の客用出入口から退場するという、前代未聞の終わり方。残念ながら端っこの僕の方までは来てくれなかったな〜。

 

 

こうして(僕にとっての)最後の中野サンプラザのライヴは終わり。50年の歴史の中でわずか4回のみでしたが、良い形で有終の美を見届けることができましたね。ホールにおいても、BRAHMANというライヴバンドの凄みは伝わる。その事実をもう一度ダメ押しとばかりに認識させられるひとときでした。あっというまに終わった感がありましたが、何気に24曲もやってたのね。

 

ただ、ホールでしっかりとステージが見られるのも嬉しいんですが、中盤までの容赦無き名曲乱打はモッシュピットで聴きたかった気持ちが抑えられませんでしたね。これからまたツアーも始まるらしいし(詳細な日程はまだ発表されてませんが)、今後のライヴにも期待がかかりますね。とりあえず、中野サンプラザ、50年間お疲れ様でしたということで。